歪められた『好文学園女子高等学校、校長の理念』

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 「ある女性のブログによると、去年この学校の教員として内定していたが、直前になって、特に仕事に支障のない障害が発覚したところ、それを理由に内定を取り消したという。噂では、ここの校長兼理事長は、病気・障害を抱えた教職員や生徒は、すぐに解雇、退学させるという。「健常者だけの学校作りを」というのが、校長兼理事長の理念らしい。仕事、学校生活に支障のない病気等でも、発覚するとすぐに解雇、退学させるらしいので、就職、入学を考えている人は、良く考えたほうが良いのかもしれません。まあ、これはあくまで噂なので真相はわかりませんが、校長の理念を覚えておくとよいでしょう。」  これは、インターネットで好文学園と入れて検索すれば出てくるあるブログに書かれている内容そのままです。火のないところに煙は立たないと申しますので、読んだ人はきっと何かあったのだろうと思うことでしょう。まさにその通りで、内定を取り消したのは事実です。しかし、その理由や背景は全く事実と異なります。内定を取り消した理由は、応募時の書類において重要な事項にうその記載をしていたことが判明したからです。そして、それが判明したのも、内定後暫らくしてからの本人からの告白によるものだったのです。本人がわざわざ告白してきたということは、その事実を隠したまま採用されることに一抹の良心の呵責を感じたからではないのでしょうか。また、採用後でその事実がわかったとき、問題にならないかを心配したからでもありましょう。もし、本人が応募時にその事実を正しく申告していたとしたら、一旦採用通知を出してそれを取り消すなどと言うことにはならなかったと思います。この虚偽申告の当該事実が病気というべきものなのかどうか門外漢の私にはわかりません。障害と言えば障害になるのでしょうか。個人情報ですからこれ以上は詳しいことは申しません。但し、私は、病気や障害を理由に教職員を解雇したり生徒を退学に追い込んだりする考えなど全く持ち合わせておりませんし、またそのようなことをした事実は天地神明に誓ってありません。このブログの問題点は当人の話を聞いただけで相手方である当方への事実関係の聞き取りと検証もなく、伝聞推定のみに基づき、想像でストーリーを描き、噂なので真相はわからないと言いつつも、結論のところでそれが私の理念であると決めつけているという全く論理矛盾も甚だしいところにあります。「努力するものが報われる学園作り」という私のモットーを、「健常者だけの学校作りを」という言葉で汚すとは言語道断であり、悪意を感じずにはおられません。このような無責任な発言がさも事実であるかのようにインターネットで配信され不特定多数の人の目に触れ、その思考に影響を与えることは実に恐ろしいことだと思います。このような事例は他校においても度々起こっていることと思います。最近では2chなど裏サイトでの言いたい放題がまかり通りこのようなネガティブな書き込みを含めて学校や企業のイメージダウンにつながるサイトをチェックして削除するビジネスが出来てきました。先日もパンフレットが送られてきました。IT産業の「顧客創造」もここまで来ると、マッチポンプ(自分で火をつけて、自分で消す)と言う他ありません。 生徒間でも携帯メールやブログをめぐり虐めやトラブルが絶えませんが、学力の低下と無関係ではないと思います。最近のこどもはいわゆるボキャ貧(言葉を知らない)で、文章で物事を説明することが不得手です。単語しか言えません。論理的思考どころか、それ以前に言葉を知らないのですから表現も稚拙です。判断力のないものに危険なものを持たせることがトラブルの元になっていますが、さりとて学校内での携帯の使用を禁止することはできても、自宅での携帯の使用やインターネットへのアクセスを制限することなどできず、抜本的な解決にはなりません。我々は道具を取り上げるのではなく、正しく使えるように、子供たちに判断力を付けることに力を注いでゆかねばなりません。まずは人の気持ちを忖度することを学ばせる必要があります。そのためには人の話をよく聴く癖をつけることです。「聴く、見る、話す」の順番を守ればコミュニケーションは上手くゆくのですが、自分の言いたいことを「話す」ことばかりに気がいって、見ようとも聴こうともしない傾向があります。また、本気で叱られたことがなく、誤った権利意識だけで物を言う人間も多くなりました。これらは生徒に限ったことではありません。 世の中は不条理なものなのですが、とかく何かにつけYesかNoかはっきりさせないと気が済まなくなっています。 先日、卒業を控えた3年生にご講演をいただいた女優の三林京子さんが、面白いことをおっしゃっていました。「我々は自然界にない直線に囲まれて生活しているので、丸みを帯びた人間関係が希薄になっている。四角いベッドで四角い布団に包まれて眠り、起きれば四角い鏡で顔を見、四角い携帯で話し、四角いパソコンで仕事をする。」直線でできている四角や三角では気持ちも尖がります。 インターネットで調べれば答えはすぐに見つかります。電子辞書を使えばいちいち重い辞書を引く手間が省けます。文章もワードで素早く完成します。お蔭で私は漢字や英語が読めても書けなくなりました。手書きの手紙からは書き手の気持ちを感じることができますが、ワードの文字からはそれがありません。ですから、真意を伝えるためにはなお一層、言葉の力を借りねばなりません。最近は携帯で時間がわかりますから時計をしなくてもよいのですが、私は相変わらずの時計派です。以前は丸型の手巻きを使っていたのですが、あわてて勢いよく巻き上げると壊れてしまう代物で、修理が頻繁になり最近はお蔵入りです。それに替えて今はこれも円形ですが自動巻きを使っています。休みが続きしばらく腕から外して机に置いておくと、3日目ぐらいには止まってしまっています。着けるとき、テレビで時間を合わせて振って動かす面倒が生じますが、この作業でONとOFFのけじめをつけられますし、時間の経過を改めて感じることが出来ます。IT化の功罪を問われれば、「功」は利便性の向上、効率化、生産性の向上と言ったところでしょう。「罪」は、人々から「待つこと」を奪ったということだと思います。「待てない」人間は、心にゆとりが生まれず、熟慮して結論を出すことができません。反射的に反応し、意思疎通を欠きその結果攻撃的になります。このITという極めて便利な進んだ技術を正しく使いこなすためには、資格偏重から教養へ、直線的思考のキャリア教育ではなく、リベラル・アーツに重きを置いた丸みのある教育こそが必要ではないかと思います。

― posted by Kanji Nobuhara at 10:42 am

仕事の流儀

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 最近少し感心したことがありました。出張報告書に関してのことです。大変異例のことではありましたが、2名の非常勤講師に広島の県立高校で行われた「学びの共同体」公開授業研究会に参加してもらいました。この2名は昨年4月に採用したばかりで、一人は新卒、一人は卒業後数年塾の講師をしていましたが、二人とも大変前向きでやる気があり、授業もなかなかしっかりとやっており、生徒の評価も上々です。そこで、今年の4月から常勤講師にすることに決めました。以前にも述べましたが、昨今は「高1ギャップ」の解消が重要課題となっており、そのためには、授業に興味を持って参加させることが必要となります。教師が黒板を前に一方的に講義する形式では、考えようとしない子はわからないまま時が過ぎてゆくだけで、これが積み重なると、机にうつ伏してお休み状態となります。「学びの共同体」の特徴は簡単に申しますと、教師による一方向型の授業を、先ず机の配列をコの字型に変え、授業の随所に4人一組のグループを作らせ10分程度で一つの問題についての回答を話し合わせ、その結果を発表させるという形態に変えるところにあります。教師には質問しにくくとも友達なら遠慮せずに聞ける場合があり、また、数人でアイデアを出し合ったり、わかる子がわからない子に教たりすることを通じてお互いに考える時間が生まれます。一度、数学の授業でトライアルでやってみたことがありますが、生徒には概ね好評でした。私は、この「学びの共同体」型の授業が最良であるとか、かならず本校の生徒に合うとか言っているわけではありません。勉強に対するモチベーションがない生徒や基礎が抜け落ちている生徒に従来通りの授業をやっていてもモチベーションも生まれなければ、基礎学力もつきません。方法を変えてみるべきなのです。にもかかわらず十年一日のごとく同じことをやって、「ダメだ、ダメだ。」と嘆いているようでは進歩がありません。この方式を導入しようとすれば、机の配列を変えるだけではなく、授業の教材や進め方、グループ分けのタイミングなど、随所に創意工夫が必要になるのですが、それが面倒だからなかなかやろうとしないのだと私は見ています。今回、この若い非常勤講師を研究会に派遣したのは、柔軟な頭で、新年度からこのやり方を本校なりにアレンジして導入するリーダー役を担ってほしいと考えたからです。   二人から報告書が上がってきました。1月27日(金)に研修に行かせたのですが、一人は2月1日付のレポートを2月1日の今日、持ってきました。もう一人は1月27日付を30日(月)にもってきていました。土、日を挟んでいますから2月1日でも決して遅くはありません。まして、非常勤、それも去年大学を卒業したばかりの新人です。27日付のレポートを提出したのは大学卒業後数年塾講師をしてから本校に来た20代後半の教員です。内容も非常によくできていました。研修が終わったその夜のうちにレポートを仕上げたと聞きました。こう言いますと、「そりゃ、非常勤なんだから、担任も校務分掌もないんだから時間はいくらでもあるわな。」との、つぶやきが聞こえてくるのは百も承知です。そして、そういうことを言う人間に限って、時間が出来ても気の利いた仕事ができないものです。 生徒には自発性を持てとか自分から進んで人の嫌がる仕事もやれとか偉そうなことを言うのですが、「それは命令ですか?」とか「それは私の仕事ではありませんから、」という誠に後ろ向きな発言を何度も聞かされてきた私から見れば、彼らは気持ちが良いほど実に前向きです。朝の校門指導にも自発的に参加してくれています。「非常勤に校門指導までさせている」と解釈している向きもあるやに聞いておりますが、私は非常勤の彼らに校門指導を指示したことは一度もありません。昨年、採用直後に、校門に立っている私のところに来て、「私たちも立たせていただいてよろしいでしょうか。」と、聞いてきたのです。「いや、それは非常勤の仕事ではないから許可できません。」と言って、若者のせっかくのやる気を削ぐほど官僚的な野暮なリーダーでは私はありません。   教師の仕事内容は年齢に関係なく同じだということは何度も申し上げてきました。ですからベテランだから優れているとは限りません。仕事への取り組み方、熱意が大事なのです。京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門客員准教授の瀧本哲史氏が、これから社会に旅立つあるいは旅立ったばかりの若者へのメッセージとして『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)というタイトルの本を書いています。この本の中で、瀧本氏は、グローバル化とIT化が進む中で、高学歴ワーキングプアが生まれてきている背景に「コモディティ化」があると述べています。「コモディティ化」とは、市場に出回っている商品が、個性を失ってどれをとっても大差がない状態のことを言います。「会社員、研究者、営業マン、教師、といった具合に、同じような能力を持った人間であれば、今やっていることをほかの誰かと交換しても、変わり映えしない労働力になることが、個人のコモディティ化である。」 瀧本氏はこれから日本で生き残る4つのタイプを、マーケター、イノベータ―、リーダー、インベスターとし、生き残れない2つのタイプを、トレーダーとエキスパートととらえています。単にモノを右から左に動かすことで利益を得てきたトレーダーや専門性と高いスキルが売りのエキスパートはインターネットの普及によってコモディティ化が進んでいます。商品に付加価値をつけて、マーケットのニーズに合わせて売ることが出来るマーケターや新しい仕組みを作り出せるイノベータ―こそが価値があります。日教組が推し進めてきた教師労働者論は、まさに自らをコモディティ化してきたわけで、社会主義、共産主義的発想の面目躍如たるものがあります。担任力や授業力で差別化できる教師には、マーケターとイノベータ―の要素が不可欠です。商品ならコモディティ化されても安ければ購入する消費者もいるかもしれませんが、コモディティ化された教師はいただけません。とりあえず当たり障りなく授業をやり、校務も表面的にこなし、細く長く職に留まることだけを考えているような教師では、生徒に十分な学力を付けることも、人としての成長をさせることもないまま、中退あるいは卒業を迎えさせてしまうことになり、それではあまりにも生徒と保護者に申し訳ないではありませんか。本校においてもマーケターやイノベーターと位置づけられる教員を一人でも多く育ててゆかなければならないと思います。若手教員にはこの本の一読を勧めたいと思います。そして教師として通用する仕事の流儀を体得してほしいと思います。出来れば、担任、教科指導、校務分掌すべての分野で余人をもっては代えがたいと言われる教員になっていただきたいと思います。

― posted by Kanji Nobuhara at 03:22 pm

大学の秋入学を考える

2009

 東大が大学の秋入学への移行検討を打ち出し、旧帝大や早慶がはやくも同調、企業や政府も支援の方向と伝えられています。グローバル化の波が高等教育にも押し寄せており、海外から優秀な学生と教員を呼び込み国際競争力を強化しようとの趣旨です。S&P、ムーディ―ズ、フィッチなど大手格付け会社により、先進各国の国債のレーティングが下げられ、経済危機に拍車をかけていますが、世界の大学ランキングにも代表的な評価機関があり、毎年World University Rankingsを発表しています。週刊ダイヤモンドに掲載された2009年のThe Times Higher Education THE-QSによる上位20校は、トップのハーバード大学を筆頭に米国が13校、ケンブリッジ大学以下、英国が5校、オーストラリア、カナダ、スイスが1校ずつで(同率20位)、スイス以外はすべて英語圏です。東大が22位に京大が25位にランクされています。米国の圧倒的優位と英国の二番手は不動です。2010年にこの会社はQSとTimes Higher Educationに分かれて別々の評価をするようになりましたので、評価方法には若干の違いはありますが凡そ次のような項目が挙げられています。教育の水準、研究のレベル、論文の引用数、産学協同による成果、留学生の割合、外国人教授陣の割合など。これらの項目はすべて同等の比率ではなく、教育水準や研究レベル、論文引用数には各々40%から20%と高い配点が割り当てられています。2011年から2012年にかけてのランキングを調べましたところ、QSでは東大が25位、京大が32位、Times Higher Educationでは東大が30位、京大が52位となっています。順位が年々低下していることをことさら卑下する風潮がありますが、妥当なのでしょうか。私が昨年卒業式に訪れた1583年設立の英国エジンバラ大学を例にとりますと、QSでは20位、Times Higher Educationでは36位にランクされています。東大、京大のTimes Higher Educationにおける項目ごとの得点をエジンバラ大学と比較してみます。Teaching(Learning Environment)では、エジンバラ63対し東大86.1、京大76.4、Research(Volume, Income, Reputation)ではエジンバラ61.4に対して東大80.3、京大72です。教育環境や研究評価では東大と京大はエジンバラ大学より高い評価を得ており、決して世界の大学の中で見劣りはしていません。ところがOverall Scoreとなるとエジンバラ72に対して東大74.3、京大64.8とその差が縮まります。その理由は他の項目にあります。Citation(Research Influence)項目でエジンバラ92.3に対し東大69.1、京大56.3、そしてInternational Outlook(Staff, Students and Research)項目でエジンバラ79.8に対し東大はわずか23、京大は21.1なのです。即ち、世界の主要学術誌に掲載される論文引用数や大学内における学生や教授陣の国際化で大きく水をあけられているということがわかります。ちなみにアジア地域で東大に次ぐ2位で世界ランキング34位の香港大学はOverall Score72.3で、International Outlook が83.7、アジア3位で世界ランキング40位のシンガポール国立大学は、各々70.9と93となっており、国際化の点で非常に高く評価されています。ともに旧英国植民地で英語の普及率は日本とは比較になりません。 入学時期を秋に変えることに関し、高校卒業と入学までの期間の使い方(ギャップ・ターム)や就活との関係が話題に上っておりますが、本来、欧米では大学合格が決まった後、一年間入学を延期し、その間に世界旅行をしたり、ボランティア活動や企業でインターンシップに従事したりして社会経験を積むことをギャップ・イアーと呼んでいます。また、大学卒業後もすぐに就職せず、この時点でギャプ・イアーをとる場合もあります。企業による採用が新卒にこだわらず、かつ通年採用であるから可能なことでそれを認める文化があります。単に秋入学に変更することで高校卒業の3月から大学入学の9月までの空白期間を埋めようというギャプ・タームの発想とは異なります。そして最も肝心なことは、授業を英語で行わねばならないということです。本気で国際競争力を高めるために優秀な外国人学生や教員を招こうとするなら、理科系はすべての学部で文科系も日本文学を除けばほとんどの学部でやらねば意味がなく、一般の日本人学生や教授陣がそれに対応できるのか大いに疑問です。高等学校までの英語教育にもかかわることで、かなりハードルが高いと思います。大学の秋入学移行は大学入学時期を国際標準に合わせるというテクニカルな問題では済まず、日本の英語教育自体を大きく変えなければならず、相当の覚悟と理念をもって進めなければならないと思います。私たちの英語が受験英語から脱却して使える英語にならないのは、日常生活において英語を使う必要がなかったからですが、大学で授業を英語でやるとなれば、大学に行きたい人は否が応でもそれに耐えうる英語力をつけねばなりませんが、日常生活での英語の普及状況の違いを考えると、香港やシンガポールと同等のレベルに持ってゆくことは至難の業だと思います。それに、大学での授業がすべて英語になるとしたら、なんだか外国人御雇教師によって講義がなされていた明治維新に逆戻りしてしまうことになります。このランキングを気にしすぎるあまり、

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日本の独自性を考慮に入れずに国際化を進めることはいかがでしょうか。ドイツの大学やフランスの大学が英語で講義を行っているのでしょうか。大学の国際化それ自体の必要性と方法論をしっかりと吟味する必要があると思います。

― posted by Kanji Nobuhara at 02:40 pm

「学校評価は進学率で決まる」は正しいか?

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 東大を頂点とした難関大学への進学率が高校評価の最大の要因であることは言を俟ちません。春先の週刊誌の特集や経済雑誌におけるランキング発表など既にご案内の通りです。  私も高校で兵庫県下の進学校に入りました。塾の先生は、この高校にさえ入れば大学は大丈夫だからと言われました。実は慶応の付属高校も完全に合格圏内に入っていたのですが、そちらは受けずにこの進学校に挑戦し、合格を果たしました。その結果、私は二浪する羽目になりました。その責任は本気で受験勉強をしなかった私自身にあったことは言うまでもありませんが、今考えるとあの時、慶応の付属高校に入っていたら学部を問わなければストレートに慶応大学に進学していただろうと思います。ただそれがその後の私の人生にとってプラスになったかどうかはわかりませんが。それはさておき、当時、私はこの進学校で、進路指導や補習など受けた記憶がありません。センター試験どころか共通一次試験もまだなかった時代ですが、国公立や難関私学あるいは理科系、文科系に分かれたコース編成などもなく、みんな勝手に勉強していました。京大を第一志望にする生徒が多く、私学は滑り止めでしか受けません。私はそういう雰囲気の中でボーと3年間を過ごしていました。その環境に浸っていれば京大は無理でもどこかそれなりの大学には行けるだろうという何とも愚かな考えで。卒業後、東京での予備校生活を始めました。理系のセンスにかける私には5教科では荷が重すぎましたので、得意の3教科に絞り早稲田一本で、初めて大学受験に向かって本格的な勉強を始めたのでした。   昨年ようやく一期生が卒業した本校の特進コースから少数ながら和歌山大学や大阪府立大学などの中堅国公立や関西学院や関西大学などの難関私学に合格者を出せるようになりました。河合塾と連携し、シラバス、教材、授業方法を研究し、進路指導も個別に行ってきました。私からも、難関大学に行くメリットについて折に触れデーターを示しつつ何度も話をしてきました。もし、私もこのような指導をしてくれる高校に入っていたら、現役で大学合格していただろうと思います。本校の生徒は、有名な進学校に入学した生徒とは異なり、中学時での偏差値はそれほど高くありませんし、大学受験に対する知識やモチベーションも持ち合わせていません。それを3年間かけた懇切丁寧な受験指導により、成果を出すことができました。生徒も教師もともによく頑張ったと思います。もしこの生徒たちが当時の実力相応の公立高校に入学していたとしたら、ここまで丁寧な受験指導を受けることができたでしょうか。塾や予備校に通うことなく、成果を得られたでしょうか。高校時代の私と同じような運命を辿る確率が高かったのではないでしょうか。とはいうものの、本校においても特進コースの合格基準点は他のコースよりかなり高めに設定をしていますので、入学時の基礎学力はある程度身についていることが条件になっています。従って難関大学への進学に限れば、いかに補習や進路指導に力を入れようとも、やはり生徒の基礎学力がものを言い、正直なところ高校入学時点での基礎学力の度合いにより3年後に合格できる大学がほぼ決まると言っても過言ではありません。勉強というものは知識の積み上げなので一朝一夕に伸びるものではありませんし、学力を伸ばすには基礎的生活習慣の確立など、その前提条件が整備されていなければならないからです。  こう考えてまいりますと、放っておいても自分で勉強する癖のついている生徒がほとんどの超進学校、学校が精神面でも学力面でも強くサポートすることで学力を上げてゆく中程度の進学校、そして、高校入学時の学力では3年間での難関大学合格は無理なレベルの生徒を受け入れる学校に大別されます。三番目は学力レベルによりさらに細かく分けることが出来ます。これは学校がそういうレベルだからというよりもそういうレベルの生徒が現実にいるからそれらを受け入れる学校ができていると考えるのが妥当でありましょう。偏差値の低い学校に行くのが嫌なら必死で勉強し高い学校へ行けということになりますし、間に合わなければ今のレベルに合う学校に行くしかないのです。そして学力相応の学校を選ぶ場合に最も大切なことは、自分を変化させてくれる学校であるかどうかです。学力が身につくような教育をしてくれる学校であるのか、マナーや身だしなみ、社会人としての常識を身につけさせてくれる学校であるのかどうか。但し、生徒本人が自分をより良い方向に変化してゆこうという気持ちを持たなければ意味がありません。生徒を受け入れる学校側から考えますと、すべての学校が進学実績を競うことに意味があるのか、学校としての存在意義はそれ以外にあるのではないか、学校の評価は難関大学への進学実績で決まるというのは間違いではないかと思わざるを得ないのです。まだわずか5年間の校長経験ではありますが、3年間で低い学力を高めることは容易ではありませんが、生活習慣や物の見方、考え方を変えることが出来たケースはたくさんありました。見方、考え方が変われば生き方が変わります。その陰には、意識改革と校務におけるPDCAの導入による教員集団のたゆまぬ努力があります。極論を承知で申し上げますと、超進学校の教師は楽です。生徒が自発的にどんどん勉強しますし、塾や予備校にも進んでゆきます。生徒と保護者の自助努力で進学実績を高く維持できます。本校の教師はそんなに楽ではありません。勉強でも生活態度でも先ずモチベーションを生み出すことから行わねばなりません。そしてそのモチベーションを上げてゆかねばなりません。しかし、ここにこそ学校の最も大切な機能があると思います。ただ、これは進学率と違って測定しデーター化して数字で示しにくいため、また派手さがないために、なかなか良さを理解していただけません。今朝、阪神電車に乗って学校に参ります時、電車の中で何人かの本校の生徒を見ました。服装も態度もまったく問題なく、安心して千船駅で電車を降り階段を下りかけましたところ、下から上がってくる別の学校の生徒とすれ違いました。ふと足元を見ますと、寒いからでしょう、スカートの下にジャージを穿いています。いわゆる埴輪ルックです。後ろから来る本校の生徒は格が違うぞと嬉しくなり自然と背筋が伸びました。しかし、以前の大阪福島時代はこんな埴輪ルックの生徒が沢山いました。見つけるたびに、みっともないから脱ぎなさいと指導をして回ったものです。残念ながら今の好文生を知らない方の中にはまだまだ以前の福島女子時代のイメージを強く持っている人が沢山おられます。百聞は一見に如かずなのですが、まだまだ広報活動が行き届いていません。先日も大阪市のある中学校の先生がお越しになり、「ほんまにこの3〜4年で学校が変わりましたな。昔は酷かったもんな。私も来てみてわかりましたんで、保護者も連れてきたんですわ。そんなら一発で好文を気に入ってくれて、あの子入学しましたやろ。30代から40代のお母ちゃん連中の中には昔の悪いイメージを持ってる人が多いんですわ。とにかくたくさんの人に学校へ来てもらわなあかんわな。中学の先生にもきてもらわな。イメージ変えるにはまだちょっと時間かるやろけど。応援してるよ。」 大変ありがたいお言葉を頂き感謝いたしております。  昨日、3年生最後の好文未来学講座を、女優の三林京子さんの講演で締めくくらせていただきました。最初、少しおしゃべりをしていた生徒がいたのですが、「そこのしゃべってる子、静かに聞かないのだったら出ていきなさい」と一喝。「自分の部屋や家さえ片付けられない人間は一流にはなれない」、「日本の伝統文化の文楽や歌舞伎を見る国立劇場や歌舞伎座で、いい年をした着物姿の女性がペットボトルからがぶ飲みをしているが、パリのオペラ座ではこんな景色は見られない。下層階級のする真似を人前で堂々とするその精神が情けない」、「芸人は舞台では汚い言葉を使って恥をさらしてお金を稼いでいるが、楽屋では実に礼儀正しく上下関係が厳しい、そんなことも知らずに日常生活で同じ汚い言葉で話しているんじゃないですか」等など、迫力ある講演で溜飲が下がりました。全く同感であります。お金のあるなしではなく、女性として、人としてプライドを持つことをこれからも恐れず怯まず教えてゆきたいと思いました。そして、地元から認知される学校へ、努力と変化をきちんと伝えてゆけるよう広報活動のテコ入れ、強化が改革6年目を迎える今年の最重要課題だと決意を新たに致しました。

― posted by Kanji Nobuhara at 04:31 pm

新春に思う

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 始業式は10日ですが、特進コースは今日5日から授業が再開されました。3年生はもう来週末がセンター試験です。今日は朝から、お世話になっている銀行さんに新年の挨拶に伺った後、大阪天満宮で特進コース生徒の合格祈願をし、各々に合格鉛筆を買って戻りました。一人一人に鉛筆を配りながら、「試験って本当にいやなもんだ」と、三回も大学受験を経験した自分の過去を思い出すとともに、生徒たちの合格を心から願った次第です。  さて、年末年始のマスコミの論調には暗いものが多く、衰退、停滞、崩壊などの文字が躍っています。昨年来のユーロ危機でユーロは11年ぶりの安値を付け100円を割りました。日経平均も29年ぶりの安値引けで年を越しました。日本は失われた20年でデフレ下の円高が止まりません。ユーロ消滅、1ドル50円を唱えるエコノミストのみが予想が当たりつつあると意気軒昂です。サラリーマンとしてバブル期を東京で過ごした私はラッキーだったかもしれません。生まれた時から停滞しか知らない若者は本当に気の毒です。彼らに向かって、日本の将来は明るいと無責任なことはとても言えません。休み中、『This time is different』の邦訳本『国家は破綻する―金融危機の800年』(カーメン・ラインハート&ケネス・ロゴフ著 日経BP社)を読みました。「今回はちがう」シンドロームの危うさが、800年に亘る世界各国における銀行破綻、国家破綻の歴史的データーから読み取ることができます。対外債務のみならず国内債務における異常な増大が必ず国家財政の破綻を引き起こしてきたという歴史的事実は、「日本だけはちがう」とは言えないとの警告を発しているように思います。株のバブルがはじけた場合は比較的短期間でリバウンドしていますが、不動産のバブルの場合は戻りまでかなりの期間を要しています。今回の金融危機がアメリカのサブプライムローンに端を発し、ヨーロッパ各国の国債の信用不安に至り、グローバル化の負の連鎖が先進国から新興国まで全世界に波及しそうな様相を呈しており、1930年代の世界大恐慌に匹敵する第二次大収縮になると著者は予測しています。トンネルを抜けるとそこはまた次のトンネルだったという状態がまだ続くと思うと、気分は益々陰鬱なものになります。 太平洋戦争直後、坂口安吾は『堕落論』を書きました。「半年のうちに世相は変わった」から始まるこの小論は、変わったのは世相の上皮だけであり、人間の本質は変わっていないと言います。武士道や天皇制も人間の弱点に対する防壁であり、堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならず、政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物であると。彼は人間そのものに創造的破壊を求めていたのだろうと思います。全くジャンルも時代も違うこの二冊の本の根底には歴史は人間が作るものでありその本質は変わらないという共通認識があるように感じます。バブルの発生と崩壊を繰り返す経済は生生流転であり、落ちるところまで落ちることによって再生されるという長い歴史の教訓は、その主人公である人間そのものにも当てはまることだと思います。グローバル経済危機に際し、政治のリーダーシップが世界的に問われる2012年、日本の次期リーダーにふさわしい上位3人に、石原慎太郎氏、橋下徹氏そして小泉純一郎氏が選ばれたとのアンケート結果があります。政治に決断力のある人物が望まれています。私も橋下氏には大いに共感するところがあります。しかしながら、あまり大きな期待は抱いておりません。橋下氏個人にではなく政治というものに期待が持てないのです。大きな歴史の流れの中で、社会の劣化や経済の悪化を押しとどめるのが精いっぱいで一人の政治家の力で反転上昇を望むことは無理なように思えるのです。 教育の目的を、失敗と挫折を乗り越え自分自身を発見し、自らが自らを救うという自助の精神の育成であると考えるなら、少なくとも私はそう考えているのですが、先行きがいかに暗く陰鬱であろうとも、考えようによれば一本調子の上り坂の時代より下り坂の時代のほうが人間力を試すには面白く、まさに教育の真価が問われる時代だと思います。とかく日本人は国頼み、会社頼み、他者頼みの傾向が強く、テレビのインタビューを聞いていても「してもらわないと困る」という発言しか聞こえてきません。「国を支えて国に頼らず」、これは北康利氏の福沢諭吉伝のタイトルですが、安吾に言わせれば、貴族や武士も天皇というより上位の権威を作り上げその権威を借りて自己を正当化するという日本人の古来からの知恵というか性癖というか、これを壊そうとしたのが織田信長であったのでしょうが、この癖は先の敗戦を経た明治145年の今日に至っても変わっていないのかもしれません。しかし、今、世界をグローバル化という怪物が徘徊しています。この怪物によって我々は個々人が否応なしに自力更生の道を歩まねばならなくなると思います。 天満宮で引いたおみくじは末吉。「星を見て進む船のごとし」とあり、「月が雲に隠れることもあるがいずれ晴れる」「願いはかない難いが心配はいらない」とのご託宣。幸い凶が出なかったからというわけではありませんが、明智光秀のように大吉が出るまで引き続けることはせず、「めでたさも 中くらいかな おらが春」を甘受しようと思いました。「憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の力ためさん」、まだまだ当分はこの座右の銘、私は手放せそうにはないなと思った次第です。

― posted by Kanji Nobuhara at 12:17 pm