
東大が大学の秋入学への移行検討を打ち出し、旧帝大や早慶がはやくも同調、企業や政府も支援の方向と伝えられています。グローバル化の波が高等教育にも押し寄せており、海外から優秀な学生と教員を呼び込み国際競争力を強化しようとの趣旨です。S&P、ムーディ―ズ、フィッチなど大手格付け会社により、先進各国の国債のレーティングが下げられ、経済危機に拍車をかけていますが、世界の大学ランキングにも代表的な評価機関があり、毎年World University Rankingsを発表しています。週刊ダイヤモンドに掲載された2009年のThe Times Higher Education THE-QSによる上位20校は、トップのハーバード大学を筆頭に米国が13校、ケンブリッジ大学以下、英国が5校、オーストラリア、カナダ、スイスが1校ずつで(同率20位)、スイス以外はすべて英語圏です。東大が22位に京大が25位にランクされています。米国の圧倒的優位と英国の二番手は不動です。2010年にこの会社はQSとTimes Higher Educationに分かれて別々の評価をするようになりましたので、評価方法には若干の違いはありますが凡そ次のような項目が挙げられています。教育の水準、研究のレベル、論文の引用数、産学協同による成果、留学生の割合、外国人教授陣の割合など。これらの項目はすべて同等の比率ではなく、教育水準や研究レベル、論文引用数には各々40%から20%と高い配点が割り当てられています。2011年から2012年にかけてのランキングを調べましたところ、QSでは東大が25位、京大が32位、Times Higher Educationでは東大が30位、京大が52位となっています。順位が年々低下していることをことさら卑下する風潮がありますが、妥当なのでしょうか。私が昨年卒業式に訪れた1583年設立の英国エジンバラ大学を例にとりますと、QSでは20位、Times Higher Educationでは36位にランクされています。東大、京大のTimes Higher Educationにおける項目ごとの得点をエジンバラ大学と比較してみます。Teaching(Learning Environment)では、エジンバラ63対し東大86.1、京大76.4、Research(Volume, Income, Reputation)ではエジンバラ61.4に対して東大80.3、京大72です。教育環境や研究評価では東大と京大はエジンバラ大学より高い評価を得ており、決して世界の大学の中で見劣りはしていません。ところがOverall Scoreとなるとエジンバラ72に対して東大74.3、京大64.8とその差が縮まります。その理由は他の項目にあります。Citation(Research Influence)項目でエジンバラ92.3に対し東大69.1、京大56.3、そしてInternational Outlook(Staff, Students and Research)項目でエジンバラ79.8に対し東大はわずか23、京大は21.1なのです。即ち、世界の主要学術誌に掲載される論文引用数や大学内における学生や教授陣の国際化で大きく水をあけられているということがわかります。ちなみにアジア地域で東大に次ぐ2位で世界ランキング34位の香港大学はOverall Score72.3で、International Outlook が83.7、アジア3位で世界ランキング40位のシンガポール国立大学は、各々70.9と93となっており、国際化の点で非常に高く評価されています。ともに旧英国植民地で英語の普及率は日本とは比較になりません。
入学時期を秋に変えることに関し、高校卒業と入学までの期間の使い方(ギャップ・ターム)や就活との関係が話題に上っておりますが、本来、欧米では大学合格が決まった後、一年間入学を延期し、その間に世界旅行をしたり、ボランティア活動や企業でインターンシップに従事したりして社会経験を積むことをギャップ・イアーと呼んでいます。また、大学卒業後もすぐに就職せず、この時点でギャプ・イアーをとる場合もあります。企業による採用が新卒にこだわらず、かつ通年採用であるから可能なことでそれを認める文化があります。単に秋入学に変更することで高校卒業の3月から大学入学の9月までの空白期間を埋めようというギャプ・タームの発想とは異なります。そして最も肝心なことは、授業を英語で行わねばならないということです。本気で国際競争力を高めるために優秀な外国人学生や教員を招こうとするなら、理科系はすべての学部で文科系も日本文学を除けばほとんどの学部でやらねば意味がなく、一般の日本人学生や教授陣がそれに対応できるのか大いに疑問です。高等学校までの英語教育にもかかわることで、かなりハードルが高いと思います。大学の秋入学移行は大学入学時期を国際標準に合わせるというテクニカルな問題では済まず、日本の英語教育自体を大きく変えなければならず、相当の覚悟と理念をもって進めなければならないと思います。私たちの英語が受験英語から脱却して使える英語にならないのは、日常生活において英語を使う必要がなかったからですが、大学で授業を英語でやるとなれば、大学に行きたい人は否が応でもそれに耐えうる英語力をつけねばなりませんが、日常生活での英語の普及状況の違いを考えると、香港やシンガポールと同等のレベルに持ってゆくことは至難の業だと思います。それに、大学での授業がすべて英語になるとしたら、なんだか外国人御雇教師によって講義がなされていた明治維新に逆戻りしてしまうことになります。このランキングを気にしすぎるあまり、

日本の独自性を考慮に入れずに国際化を進めることはいかがでしょうか。ドイツの大学やフランスの大学が英語で講義を行っているのでしょうか。大学の国際化それ自体の必要性と方法論をしっかりと吟味する必要があると思います。